不況と子供たちの関係

米国発の不況の波は、大人とともに子供達にも大きく影響していることを知った。後輩の高校教員からうかがった。
我が泉州地方でも、高校生がアルバイトで疲れ、登校できなくなっているのだという。
両親が解雇や雇い止めで収入が大幅に落ち込み、子どもたちのアルバイト代が生活費の一部として組み込まれているためだという。
子どもたちは1つぐらいのアルバイトは当たり前のことで、時間帯を分けて2つ、3つのアルバイトを掛け持ちしているのだそうだ。
その収入に親が頼らざるを得ないのが、実態とのこと。
小生も小学校5年生から中学3年生まで、朝夕の新聞配達に精を出した。中学2年生から高校卒業までの、春・夏・冬の休みには、いわゆる土方のアルバイトを経験した。
相撲と陸上部に席をおいていたこともあり身体は頑強で、近所の工務店が成人並みの賃金を支払ってくれた。
仕事は主に「てっぽう」だった。てっぽうは「鉄砲」と書き、文字通りの肩に鉄砲を担いで歩く姿を現している。
バケツをやや長く伸ばし、底に取っ手をつけた形の器に、「土壁」用、「屋根瓦」用の土と藁をこねた土を、2階、3階、屋根の上にハシゴを伝って運び上げるのが仕事であった。
はじめてから一週間は両肩の皮が擦り剥けてヒリヒリとして痛く、風呂のお湯につけられないぐらいであった。しかし、馴れてくると肩には、手にできるタコのように肉が盛り上がり、少年ながらいっぱしの職人のような気構えを抱いていたのを覚えている。
5人兄弟の長男のため、稼ぎはすべて家に入れるのが当たり前のことで、何の疑問も抱かなかった。近場に京都大学の原子力研究所がある。この施設の前の大きな道路建設にも携わった。連日、地面との格闘で、完成した時の嬉しさは言葉では言い表せないものだった。
学期途中でも、近所の庭造りを手伝ってほしい。湿地なので庭と家の間に深さ1m50cm、長さ15mほどのコンクリートの壁を作って水を堰き止めて欲しい、などとの注文も請負、弟と出かけていき完成させたのが懐かしい思い出となっている。私は、工業高校電気科へ、弟は工業高校建築科へ進みその延長で仕事を選択、転職することなく退職した。

時代が代わり現代社会では社会全体が表面上は豊かになっている。子どものアルバイト代はその子ども自身が小遣いとして使う多くの家庭と、生活費に使わざるを得ない家庭の子どもとの落差が多くのアキラメを作り出している。
生活費を稼ぎ出している高校生に、エールを送りたい。そして、何とか時間配分を工夫して、高校は卒業するようにと願っている。

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