明日香

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今月末の31日までと期間は限られているのだが、奈良県が宿泊客が激減する夏場対策として「上限5,000円を割引く」キャンペーンを実施している。よくよく思い返して考えてみると、現役時代はゴルフのグリーン上を中心に幾度となく奈良県へは出かけていたのだが、宿に泊まったという記憶は一度としてなかった。従ってこの際、せっかくの制度を利用して明日香村を中心に行ってみようかということになり、車を走らせてみることにしてみた。「亀石」として有名で明日香の名物ですが、小生には「カエル」に見えます。

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決められた観光コースなどというものは一切無視して、行ってみたいところだけを訪ねてみることにして気ままに走ってきました。亀石のやや遠景からの撮影です。この場所はカーナビでは出てくるのですが、人家の裏手にありかなり真剣に探し回りました。

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30年ほどの昔、今は他界した義理の母と子供たちとの一家全員でこの場所に来たことがあります。当時は、現在のように石舞台周辺を環濠で囲ってはおらずに、平地の上にポツンと石舞台が置かれていた記憶があります。雑で荒っぽい石組みですが、一度観てしまうとズウッーと記憶に残されてしまうという不思議な魅力を持ってしまう石群です。

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明日香村の外れにある「飛鳥寺」も訪ねました。「明日香と飛鳥」が同じ発音で、懐かしい響きを持つ言葉だと思います。姪っ子が飛鳥と書いて「あすか」と読む綺麗な名がつけられ、アラフォ-なのに今だ独身で、職業に薬剤師を選んだため両親よりも多い収入を得ているという、親にとっては幸と不幸が入り交ざった娘なのですが、いい娘です。などと考えながら、初訪問の「飛鳥寺」を楽しみました。とにかく観るものが多い地なので、あらかじめルートを決め来たのですが、この日はあいにくの大雨が時々降り、道路標識も判別できないなど困った困ったを繰り返す一日となってしまいました。

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645年。曽我入鹿を殺めた戦闘は、後世、大化の改新と呼ばれるようになり、首謀者の中大兄皇子と中臣鎌足は、訪れているこの飛鳥寺にその日のうちに陣を構え、蘇我家の逆襲に備えました。「中大兄皇子はここにいたのか」、「中臣鎌足はこの辺りに座っていたのか」などと想像を巡らせていると、時間の過ぎるのがアッという間で、充実した時間を過ごすことができました。本尊の釈迦三尊像です。 

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いく度かの火災を逃れて修復され続けてきたご本尊。生々しくその修復の後が残っていました、

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本堂内、向かって左側に位置していた「聖徳太子像」です。1300年も立ち尽くしていたとは思えないほど、キリリとしたお顔で、なおかつ眼が生きているように光っていました。

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年季の入った飛鳥寺の屋根。

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日本史の宝庫でした。

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あいにくの大雨が時々襲うという日でした。ですが雨の明日香はこれまた古代人たちも過ごしてきた一日でもあり、取り巻く山々と畑地の様子が1400年前に戻ったように感じられました。この地をこのように残してくれた明日香の人々に感謝した一日でもありました。

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