退職の時期

50歳で心ひそかに退職を予定していた。しかし、歳を重ねるに従い一定の仕事上の責任が生じ、思い通りに辞めることが出来なかった。それではと、55歳で必ず退職しようと決意し身辺整理を始めた。とりわけ大切にしたのは、高校を出て18歳で仕事につき、55歳までの37年の人生は何だったのかを自分なりにまとめておくことだった。でないとその延長線上にある、退職後の後半の人生が見えなかったからである。
幸い、電車で一時間のところにある某大学院が生徒を募集していて、54歳になっていたにも関わらず受験し合格させていただいた。授業料の高いのが不満であったが、入学金36万円、半期の授業料26万の年間52万円を支払いながら、労働金庫の教育ローンでお借りして1年半通った。
だが、退学した。思いとは違う授業が続き、小生の役には立たないと判断した。入学したときは、「シラバス」などという単語も知らず、「院生の勉強の仕方」も知らず、教えていただくことばかりであった。元々、怠け者で次の仕事などは考えておらず、修士の資格も運転免許証程度の扱いとしていたので、退学に未練はなかった。
小生は、「境界域(ボーダーゾーンと名付けている)」を研究したかった。たとえば、シルクロード。長安の都からローマの都まで、ラクダに荷駄を乗せて運び、商売・貿易が成り立っていた。しかし、中国から、イタリアまで、その隊商が、歩き続けることはなく、言葉の違う国々を通過していく度に隣接民族間が商売を引き継ぎ、荷物を最後まで届けていた。その間、数百の民族、「境界域の民族」が関わっていたと想像している。
我が泉州で言えば、堺の町衆と紀州藩の間に挟まれたようなもの。ただ、言葉は同じで通じた。長崎の出島は、国策。「対馬」に問題意識があった。
60kmの対岸の「韓国・釜山」と江戸幕府の間に挟まれ、利を得ながらも、数多くの不利を生み出した、藩。
ちょうど、日経新聞に先月11月から連載が開始された「小説・韃靼の馬」の基本テーマでもある。
小生はこの境界域を調べることを通じて、他文化間の交流と共生について、掘り下げたかったのだが叶わなかった。
指導教官がいない専門的調査には、無駄が多い。行きつ戻りつを繰り返し、前進しているのか後退しているのか判らないままで今日に至っている。
境界域をやり始めると、今日の「日韓・日朝・日中・日米・日亜細亜」などの現実に生きた世界が飛び込んできて、目が移ってしまう難点があり、腰が落ち着かず、いつもキョロキョロしている自分に気付く。
しかしまあ、のんびりと続けようと思っている。

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